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アメリカの大学院生として就職活動をしていた頃の思い出

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アメリカで就職活動をしていて、ひとつめのジョブオファーをもらったときのことをよく憶えている。

そのスタートアップは今もロサンゼルスにあるし、見たところ成長を続けているようだ。シリーズ B のステージにあり、社員数は五十人を超えている。名前を書くともしかすると迷惑がかかるかもしれないのでここでは M 社と呼んでおく。事業セグメントも秘密にさせてほしい。

創業して二ヶ月ほどの時期、社員一桁の頃に応募してオファーをもらったのだが最後は辞退した。もしオファーを受諾していたらどうなっていたかふと考えてみた。

スタートアップキャリアフェア

USC(南カリフォルニア大学)のコンピュータサイエンス専攻の大学院生として就職活動をしていたわけだが、ソフトウェアエンジニアの職は簡単には手に入らなかった。Google や Amazon でのインターンシップを経てあっさり正社員としてのオファーをもらっていた同級生を横目に、僕は苦しい日々を送っていた。

夏にロサンゼルスの小さなスタートアップでインターンシップをしていたのだが、そこはほぼ無名の企業であり、開発よりも研究よりの業務だったので、あまり就職活動の助けにはならなかった。応募の数はリファラル経由を含めて三桁になっていた。

そんな 2019 年になってすぐの頃、僕は USC のスタートアップキャリアフェアに参加した。大学キャンパスの中で行われるイベントで、成長中の企業に入社したい学生のために開かれたものだ。僕はとくにスタートアップ志向というわけでもなかったが、大手企業への応募はほぼすべて落ちていたので試しにやってきたのだ。

McCarthy Quad

Leavey 図書館前の McCarthy Quad 広場にテントが並ぶ。その中心近くに M 社のブースはあった。インド訛りの若い男性が会社紹介をしてくれた。僕はとりあえず自分のレジュメ(履歴書)を渡して資料をもらった。

帰宅するとメールが届いていた。Python で Web アプリケーションを作る課題を提出すれば採用を考える、早く完成させるほど高評価とのこと。二週間ほどで応募を締め切るから早く送ってほしいと書き添えてあった。

やる気は湧かなかった。何時間か集中しないとできない課題だったからだ。授業の宿題はあったし、LinkedIn で知らない人にメッセージを送りつけてリファラルをくれませんかと頼む作業でもやったほうが効率的なのではと思った。だが、もし課題を送らなかったり提出が遅れたせいで就職できなかったらと考えるとこの機会を捨てるわけにはいかなかった。

僕は半日で課題を完成させた。Docker でデータベースと Web アプリケーションの環境を作ってすぐにローカルで動かせるようにした。README に立ち上げの手順書も書いた。

提出して数日後に面接をしたいとのメールをもらった。

面接

教えてもらった住所を頼りに僕は Uber で現地についた。ウェスト・ロサンゼルスのオフィスビルだ。メールに書いてあった番号に電話をかけると、十分ほどで迎えの人が来た。

LA buildings

ネイティブスピーカーの早口の英語はあまり聞き取れなかったがそんなに重要なことは言っていなかったと思う。警備員のいるフロントを抜けてエスカレーターに乗り、僕たちはシェアオフィスのあるフロアに来た。

会議室でしばらく待つと、三人がやってきて挨拶をした。うち一人はキャリアフェアにいたインド訛りの男性だった。

会社の紹介が終わるとすぐにコーディング面接が始まった。LeetCode の問題よりも Web アプリケーションの理解とディスカッションに重きをおいたものだった。このときはまだインド訛りに慣れていなかったのでディスカッションに苦労した。自己紹介で知ったのだけど、彼は USC の学生だった。M 社でインターンシップをしていて、修了後もそこで働く予定ということだった。つまり僕の同級生だ。

最後に CTO の男性と会社のサービスや事業について質疑応答をした。せっかくなので今後の成長の予測や一年後や三年後にどういうチームになっているかなど尋ねた。

ビルの外まで送ってくれたのは CTO だった。歩きながら少しだけ個人的なことを喋った。CTO はベラルーシ出身でアメリカに来てからかなり長いとのことだった。いくつかのスタートアップを渡り歩いてきたが、M 社はこれまでで最もよいと丁寧な口ぶりで話してくれた。

CEO とのやりとり

面接の一週間後くらいに知らない番号から電話がかかってきた。なにを言っているのか聞き取れなかったので SMS でメッセージを送ってくれと伝えた。

M 社の CEO からだった。採用のオファーを送りたいので詳細を電話で話そうとメッセージには書かれていた。僕は CEO とは直接会ったことがなく、顔も知らなかった。

電話ではなくメールでやりとりしようと僕は提案した。それでいいよと返事を受け取ってほっとした。ネイティブスピーカーとの電話は難しい。特に給与交渉のような場面では。

オファーの給与は予想していたよりかなり低い額だった。

「もっと給料を上げてほしいです。これくらいだったらありがたいです」とメールを送った。「いいよ」と返事が来た。こんなに早く了承してもらえるのならもっと高い額を言ったほうがよかったと思ったがもう遅かった。

「ストックオプションや RSU はありますか?」「もちろん」しかし具体的な数字は教えてくれなかった。

「ところですまないが二日以内に決めてほしい。それを過ぎたらオファーは時間切れだ」

「もっと考える時間がいただけると嬉しいです。実はほかの会社でも面接をしていてそこからもオファーをもらえそうなんです」

「わかった。じゃあ三日以内に頼むよ」

そんなやりとりを続けていると、彼が信頼できる人間とは思えなくなってきた。同じ時期に面接を受けた別の会社からよいオファーをもらったので、M 社からのオファーは断ることにした。

断りのメールの文面をググって送信した。

断った理由。もし断らなかったらどうなっていたか

CEO が信頼できなかったから。待遇がそれほどよくないから。事業がうまくいくと思えないから。このあたりの理由で断ったわけだが、もしオファーを受諾していたらどうなっていただろうか。

自分はかなり飽きっぽいので、入社して数年もすれば転職したくなっていたかもしれない。加えてこのとき自分はロサンゼルスがいやになっていて、別の街に行きたかった。後にニューヨークシティの会社のオファーを受け入れたのはそういう理由もある。もしもを考えても生産的ではないのでここで終わりにしておきたい。

ところで、ここに書いた CEO とのやりとりはかなり端折っているし、記憶違いもあると思う。M 社の描写もいくつか現実と異なっている。三割創作くらいの気持ちで受け取っていただけるとありがたい。

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